新国立劇場『反応工程』

『反応工程』
戦時中が舞台の作品、貧乏だし鉄拳制裁だのの古臭い価値観が横行してるのを観るのが割とつらくて、
つくづく現代に生まれて良かったと噛みしめることになるけど、そういう価値観・行動様式が実は全然いまも息づいてることも同時に気づいてしまうので、やはり陰鬱な気持ちになる。
フルオーディションと聞いて(それと演出が千葉哲也さんで、神農直孝さんが出ているので)行ってみたけど、役者さんが皆はまっていて面白かった。

あらすじ

太平洋戦争の敗色濃い1945年8月、九州中部にある軍需指定工場。戦前は染料を製造するためだった工場も、今ではロケット砲の推進薬を作り出す”反応工程”の現場となっている。 田宮、林、影山らの動員学徒も配属され、日夜、古株の工員らと共に汗を流している。勝利を信じる田宮だったが、勤労課の職員である太宰に戦争の本質を説かれ、禁書となっている本を渡される。そんな中、影山に召集命令が下り……。

実はあらすじすらろくに読まずに見に行った…けど、同年代の坊主頭がわらわらしている中で田宮・影山がちょっとエリートっぽいのは、セリフはもちろん雰囲気からも窺えて(林さんはキャラの路線がちょっとチガウ)、キャラ立ちがすごいなあと。

「大体こんな話だよ『反応工程』(物語をまとめた四コマ漫画です!)」https://www.nntt.jac.go.jp/play/news/detail/13_020438.html
にある通り、
・戦争に盛り上がったり恐れたり意味を問うたりする若者組(さらにエリートと地元の子に分かれる)
・戦争が日常になってしまっている大人組
の敗色濃厚になった昭和20年8月の話で、
その中で太宰(勤労課員)と清原(監督教官)が、どっちつかずの蝙蝠のような立場かつ対照的だったんだなというのが、見終わってふと思い出してること。

エリート学徒に禁書となっているアカ本(レーニン『資本主義の特殊な段階としての帝国主義』)をこっそり手渡すが、戦争に負けるとの予想を口にするつもりはなく「大事に生きて明日にかけたい」という太宰と
憲兵に対しては田宮のことを取り繕うとし、しかし逃げた影山のことは密告して「仕方なかったんだ」という清原。
田宮は清原に「お前は狗だ」と言い、終戦後も許すことができないと言うけど…太宰もたいがいじゃないか…?

つーか、たぶん多くの人は清原や係長になっちゃうと思うんだ。少なくとも私はなる。
で、ああいう立場になったら、どうしたらいいんだ?清原だって、保身があるにせよ、良心が無いわけじゃないんだよね。
と考えると、「そういう状況を作らない」ことなんだろうな。
「戦争は、もう、するな、人が死ぬ」
(死なずに済むとしても、あんなシビアな問いに直面する日が来ませんように)

その他雑感
・物語の舞台は九州中部。
こういう戦争・空襲がテーマになると、東北ってあまり舞台にならないというか、もちろん仙台も私の地元も空襲はあったのだけど、西のほうとはまた「かつてあった空襲」についての感覚が違うのだろうかと考える。西というより、軍需産業があった町と田舎?

・労働組合の組合長になった太宰、頭は切れるが、もってあと1,2年…みたいに言われていたのが気になる。

・戦争が終わっても、労組もろくにないし、この後の日本は安保だの高度経済成長期打のバブルだの…で震災がいくつかあって、2020年東京五輪…。平和は遠い。

・聴覚サポート有の公演だったからなのか、普段からなのかわからないけど、5分前のお知らせを音楽だけでなく照明の明滅でもお知らせしていた(と思う)のが新鮮だった。
なるほど、そういう手が。

・フルオーディション。こういう実験的なことをやるのが国立!!って感じでいいよね。芸術監督には頑張ってほしい。

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