12/15 『スリル・ミー』成河×福士誠治(ネタバレあり)

※スリルミー未見の人は、絶対にネタバレを読まずにまっさらな状態で観たほうがいいです。絶対に。初見は一度しか体験できない。

ひとさまのご厚意でチケットを譲っていただいて観てきた。
これが噂のスリル・ミー…。
開演時間が近づくにつれて、皆押し黙って静かに始まるのを待ってるのが印象的だった。
何もアナウンスなく始まって、ピアノ1台+役者2人で休憩なし100分間という緊張感。
身じろぎもためらう緊張感でとてもとても面白かった…!!
(そして予習なしで観に行って良かった!!)

役者×役者という表記なのは、他の役者さんの組み合わせがあるからだけど、「そういう」意味でもある。
でも、まず第一に考えたのは、このお芝居の成り立ちとか取り扱われかたとかそんなことだった。
ただ結局はこの台本も何もかも、役者が身を削って何かを見せてくれるステージのため…いや、役者が身を削ることそのものを見るためのお膳立てに過ぎないのかもな~と、以下のだらだらを書き殴りつつ思った。
なので、ぜひ他のペア(今回は松下洸平×柿澤勇人ペアがある)も観てみたい。

以下ほぼNO推敲で。

ミュージカル『スリル・ミー』は、現実に起こった殺人事件事件を題材としているけど、「メガネを落としたのは”故意”だった」という創作を1つ足すことで、物語ができてる。
2003年アメリカで初演。韓国でも上演されていて、日本初演は2011年。
つまり翻訳劇。

翻訳物と言えば、夏の成河さんの一人芝居『フリーコミティッド』は売れない役者・サムがレストランの予約係から成り上がっていくヴィクトリーの話だけど、そのヴィクトリーの部分をあえて薄めて演出してた(ソース:一人会)のが個人的に引っかかりがあって。
たしかにヴィクトリーの話は日本には馴染まなかったかもしれない。けど、そこをとったら屋台骨をなくすのでは?
結果、それを演じる意味を薄くなってたのでは?と個人的に思う。
観てて何かパーツが足りないような消化不良感があったし。
(成河さんを堪能できるから、ファンとしてはそれはそれで問題ないともいえるけど…けど…)

といってオリジナルに出てくるらしい有名人の数々をそのまま出しても日本人には分からないし、日本の有名人に置き換えるのもちょっと違う。
翻訳ものって難しい。
言語も社会も違うもんね。
(とはいえ例えば平家物語だってもう昔すぎて異文化だ。日本語の美しさとかはそのまま味わえるけれども)

じゃあ、同じ翻訳劇であるスリルミーは?
社会的な面よりも、愛だか恋だか執着だかサイコパスだかの内面的な部分にフォーカスされてるから(されてるように見えるから、かな)、そこは万国共通!的な理解はしやすいものかもしれない。
平家物語の時代のひとの内面なんてもう異星人も同然だけど、それに比べたら、1924年に起きた事件を、2003年に戯曲にしたのはまだまだ近くて同じように解釈できる範囲だし。
(ここでふと、『人間風車』の成河一人会で成河さんが言ってた、「再演の難しさ(時代が違ったりする)」のことを思い出すなど)

が、

事件について「彼を独占したい」という創作を置くことは、理解できないことに直面した時に、理解できる物語を発見してしまう(ことによって安心するという精神的防衛を助長しないか?
「独占欲で破滅の道を選んだ」あ、ちょっと理解できる気がするね?愛だね?的な。
まさに「解釈だけが存在する」byニーチェ、な。

ので、結果として
「福士誠治のビジュアルが完璧…」みたいなことだけを出力してしまいそうになるのだけど、もちろんそれだけの作品ではないと思ってて(※1
とはいえ、やはり社会的な解釈というか…2人の関係性そのものよりも、その取り扱われ方が気になる作品だった。

例えば「私」のような理由で事件を起こしたひとを釈放すること/収監すること/死刑にすることについて。
最後に刑務官?が挙げる保釈の理由や、弁護士の弁論については色々考えるとこではある。

例えば「なぜ殺されたか」と意味を問うことの無意味さについて。
「犠牲の子供」
「そこにいただけ」
前半でつらかったところ。そう、そこにいただけ。
(犠牲者の年齢を元の事件からかなり引き下げたの、けっこう気になる)

例えば「現実の事件を題材にした創作」の是非について。
最近だと「幸色のバスルーム」とか…
『スリル・ミー』は、2003年の作品で、1924年に起きた事件を元にしたので時効だと思うし、事件を題材にした創作なんていくらでもあるのは分かってるけど(歌舞伎もそういうの多いね!!)、やっぱり気になるんだよ…。

あーでも「彼」への執着から、「私」がアレを全部仕組んだかと思うと、やっぱりとてもエモい…そういう目で最初から見たい…(また来週観ます)

※1 「福士誠治のビジュアルが完璧…」みたいなことだけを出力してしまいそうになるのだけど
でも、あの時間・空間の緊張感を第一に楽しむものではあるかもしれない。
1台のピアノと実力の拮抗した俳優2人の紡ぐ物語を、300席の箱で…ヒィ

それにしても福士「彼」のビジュアル完璧じゃないですか?
傲岸不遜を体現したようなあのビジュアルに加えて、体現できる技術をも持ち合わせた35歳!(二十歳やそこらで顔の造作がいいのとは違うじゃん…)
あれは誰を殺そうとも監獄に入ろうとも、独占したくなるわ!!!!!!!!(福士彼、私以外ともフツーに寝てそうなので成河彼かわいそう…)
NTR属性持ちだからってわけではないけど、成河「私」以外との福士「彼」も観てみたいなあ…。
逆に成河「私」は――決して他ペアをdisりたいわけではなくて、それぞれ魅力ある関係だろうと予想or期待した上で言うけど――うん、福士「彼」くらいじゃないと惚れないよね?

はー…この日はけっこうな前方列で、最後の「彼」モノローグを横たわって聞く「私」成河さんが真ん前で目が合う(合ってません)席だったんだよ…。
おおお推し(現代演劇のほう)と福士さん(好き)が、2,3メートル先でキスを…

…けっこう見慣れてる気がする(笑)
(でも僕この距離で成河天魔王と山本耕史蘭兵衛の口説キッス観たかったです!!)

ともかく福士さんの唇が薄ーい感じが好きなこともあって、まー美しいですねー。
スリーピースからの思わせぶりに(も何もその気だよ!!愛はなさそうだけど!←好き)ネクタイ外すの、平静を装ったけど思い出すとバタバタしちゃうよー。
(私の推しはまず成河さんのつもりなのだけど、花髑髏といい、相手のほうを美人だと褒め称えたくなるのは何でだろう)

とはいえ最大のニヤニヤポイントは、やっぱりネタばらしシーン。最高。

そもそも成河さんは登場シーンからして、60歳近い受刑者の「私」として話してたのに、ライトが下から上に切り替わった瞬間、もう顔が別人の19歳「私」になっててびっくりした。
(人間風車の平川といい、先日のTVドラマ「99.9-刑事専門弁護士-SEASONⅡ」といい、こういう感じの役が多いのかなあ…確かに似合うし上手いんだけど、なんかこう…違うのも…うーんうーん)
(受キャラのような顔をして結局攻キャラですよねあなた。福士彼は受だと思ってたら攻じゃん→やっぱり受だったか※役の上の話です)


「ミュージカルである」ということはあまり気にならなかった(ミュージカル得意ではない勢)。
少し前に「ミュージカルに違和感があるのは、急に歌い出すことではなく、会話から急に詩的な歌詞になることでは?」という文章を読んで腑に落ちていて、そういう意味ではさほど詩的ではなかったからかもしれない。


ところでこれ、「心理戦」ではないよね(あの予告動画、大嘘つきだろ!!福士さんが拉致監禁される繊細な受キャラかと思ったわ)。
「私」の圧倒的勝利の完全犯罪だよね。


なおオリジナルは「私=レイ」だけではなく、彼にも名前があるらしい。
 ひかる「「スリル・ミー」 「彼」の名前」 https://ameblo.jp/frhikaru/entry-11310368756.html
韓国版の彼・私に名前がなくて、日本版もそれを輸入した形らしい素晴らしい。天才。


私と彼、ペアによっては「そもそも彼にニーチェの超人思想を植え付けたのも私」という設定があるらしくて何それ何それ沼じゃん…。


  • タイトル:Thrill Me
  • 会場:東京芸術劇場・シアターウエスト
  • 会期:
  • web:
  • 出演者:成河,福士誠治,(ピアノ・朴勝哲/underscore)
  • 鑑賞日:2018/12/15
  • 書いた日:

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